楽しいお墓

先にお墓に入ってて欲しいここだけの話

母乳育児が出来なかった話

 

 

 もう半年以上前の話なのでもう記憶は朧気になっているが、産後に1番じたばたした事なので自分の記録のために書き残しておく。

 

 母乳育児が推奨されているのは周知のこととして、推奨されるのと同じ理由で私も母乳育児がしたいと思っていた。数年前に親戚が子どもを産んだ時に母乳の出が悪く悩んでいた記憶があったため、産前からその状況を避けようとマッサージやサプリメントを取り入れて準備していた。赤ちゃんが産まれてから、これは意味無かったんだね…と思い知ることとなる。

 

 そもそも他人に身体に触れられるのが極端に嫌な質で、助産師に胸を触られるのも授乳の度に私だけ裸にならなければならないのも嫌だった。それでも必要な事をだと分かっていたので受け入れた。退院してからも私は裸にならなきゃいけないのに夫や母は当たり前に部屋にいるし、授乳に口も手も出してきて、産後すぐに私のプライドはずたずたになった。まともに眠れない日々の中、授乳をしている時もしていない時もずっとうっすら泣いていた。

 

 それでも母乳育児が上手くいっていれば、この状況も飲み込めたのかもしれない。

 

 けれど私の場合は、陥没乳頭と乳腺が少ないというポテンシャルの無さもあって、母乳が出るどころか結局胸が張ることさえなかった。

 

 退院後に母乳外来を訪れた時、私にはなんとなくよそよそしい助産師が、他のお母さんと活き活き母乳育児について話し合っている姿を見た時に、ああ私は本当に上手く行ってないんだなと思って涙がとまらなくなってしまった。泣いていることに気がついた助産師が私の隣に座って、「辛かったら辞めてミルクにしてもいいよ。お母さんが笑っていられるのが1番だよ。」と言った。私がその言葉を鵜呑みにするには犠牲を払いすぎていて、ただ「もう望みがないから辞めにしたほうがいい」と言うタイミングを見つけて声を掛けられたと理解した。泣きながら歩いたその帰り道に、私は母乳を辞める決意を固めてしまった。

 

 

 それから半月ほど、一応は授乳を続けるが、3時間おきに授乳のポーズをとるのみといった感じで、多分もうこの行動自体にあまり意味はなかった。私が赤ちゃんのお母さん気分を味わう為に続けていた。

 

 

 最後の授乳のことははっきり覚えている。もうここまでにしよう、と自分で決めた日があった。最後にどのくらい飲ませられたのかを確認しようと思い、家に体重計が無かったので、何駅か先のデパートの中にある授乳室に行くことにした。駄目なのはわかっているけれど、というような、記念受験のような気持ちだった。重い身体をゆっくり動かして、以前よりずっと時間をかけて授乳室に行った。それまでに病院で測られた時に飲めていた量は0〜2gだった。授乳を済ませてそーっと体重計に赤ちゃんを寝かせると、飲めていた量は10gだった。増えている。5倍にもなっているのに、それなのに赤ちゃんが栄養を摂取するには余りに少ない。これじゃだめね、と自然と受け入れられた。体重計に置かれた赤ちゃんは泣いていた。抱き上げると泣きやんだ。何にせよ自分に出来る事をやっていくしかないのだと、腹が括れたのはこの瞬間だった。

 

 

 現在、赤ちゃんは元気に育っている。母乳を飲んだ経験がほとんど無いためか親の胸に全く興味がなく、入浴時に手で掴まる所と認識していそうである。今でも母乳育児を出来ている人を羨ましがる気持ちはあるし、もしまた子どもを授かったらまた同じことを繰り返すかもしれない。それでも前よりいくらか良く受け入れられるんじゃないかなと思っている。そうであってほしい。

 

 

 

 読んでくださってありがとうございました。